誕生日ツイートありがとう。曉の代表は31歳になりました。
4月10日。わたくし、まさとは31歳になりました。曉のTwitterでお祝いの写真や言葉もいただけて嬉しいです。みんなありがとう。
【まさとさん】
— 曉 うらじゃ よさこい (@AkatsukiOkayama) April 10, 2018
本日4月10日は…
まさとさんのお誕生日です😊
おめでとうございます🎉✨
曉の代表であり、誰よりもチームの事を1番に考えて下さっています。
昨年は初の誉受賞へと導いて下さり、感動・喜びを仲間と共に分かち合うことができました。
今年も熱い夏となること、期待しています(*^^*)! pic.twitter.com/tJ1A2Eebfb
Facebookでもありがとう。
『うらじゃ』を始めたきっかけ。
なかなか話すこともないので、誕生日を機に書いてみます。『うらじゃ』は、2008年に始めました。当時は大学3年生。
岡山大学のESS(英語研究部)という部活に所属していたのですが、ESSの先輩に誘われたのがきっかけです。その先輩は、内定先の人に誘われたんだそう。
で、僕は2歳下の弟・ゆーじ(今は蓮雫)を誘いました。僕ら兄弟は昔から「ダンスやってみたい」と思っていたので、「ついに踊れる」と大喜び。
高校の途中までは運動部。
僕は、小学生のときはサッカーをちょっとやって、4年生からはソフトボールをやっていました。中学生ではその流れで野球部に。
「プロ野球選手は無理だな」と諦めたのもあって、高校生では大学進学を優先。「けど運動はしたいしな」という気持ちもありました。
本当はダンス部に入りたかったのですが、男子は0人で全員女子。その中に入る勇気も、別個に男子ダンス部をつくる発想も、当時の僕にはありませんでした。
その後、仲良くなったクラスメイトに「早く帰れるから」と誘われ、バスケットボール部に入部。初心者なりに努力しましたが、入ってみると愛媛県でもなかなかの強豪校。
マラソン苦手で体力がない僕には、野球のグラウンドより狭くても走り続けるバスケはきつかったです。一方、他の同級生たちは小学校や中学校からやっているバリバリの連中ばかり。
「こりゃレギュラーにもなれそうにないしな」と思って、ちょうど1年間で退部。
運動しなかった4年間。
商業科だった僕は、「大学受験のために資格試験や検定試験に専念しよう」と、2年生からは情報処理部に転部しました。
今振り返ると、高校2年生の始め(2004年4月)から大学2年生の終わり(2008年3月)までの丸4年間は、体育や遊び以外での運動はしていなかったようです。
踊ったのは5年で5日。
で、大学3年生で『うらじゃ』デビューを飾ります。が、子供から40歳ぐらいまでが所属するファミリー連。仕事や体力の都合で、『うらじゃ』に出場するのは2日目の日曜日のみ。
2008年から2012年までの5年間お世話になりましたが、祭りで踊ったのは5年で5日でした。今は1年で15日〜20日ぐらいは演舞の機会がありますが、当時は正に「年に1度の楽しみ」。
『曉』は『こいや祭り』2012の帰りに命名。
前の連では、2年目からいろいろ経験させてもらいました。代表者会議に出たり、振付を先に覚えて練習でみんなに教えたり、『うらじゃ』当日も受付に走ったり。
当時の代表は、ダンスも武道もバック宙もできる無敵ゴリマッチョ兄さんだったのですが、40歳を超えて体力的にきつくなってきたそうで解散の話が浮上。
僕が入ったのは確か2年目だったので、6年間で幕を閉じました。曉も2018年で6年目なので、追いついたんですね。感慨深いです。
名前をそのままに引き継ぐ話もいただいたのですが、「もっと踊りたい」,「もっと魅せたい」と思った僕は、ありがたいお話をお断り。心機一転、新しい連を立ち上げることに。
2012年は、8月1週目の『うらじゃ』に出場。9月の『こいや祭り』を観に行ったときに。関西学院大学の『炎流(えんる)』が『炎奏(かなで)』という作品で大賞を受賞。
この年で2連覇。この頃の幹部勢を中心に『嘉們(かもん)』は結成されたと聞いたことがあります。ちなみに、『炎流(えんる)』は翌2013年に大賞で3連覇。しかも、結成10周年。
確か、この演舞を観た帰りに『暁』と決めました。2年目から旧字体の『曉』に変更しましたが、最初は簡単な方の『暁』でした。
Twitterのエゴサーチも、YouTubeの検索も、どちらもしづらい名前です。当時は、そこまで頭が回らず。
岡山→晴れの国→太陽→日の出→曙→東雲→暁…という感じで辿り着きました。意味を調べると、「未明」という「空が明るくなる前の状態」。なんか格好良い。
日の出前の仄暗い時刻・情景。明け方を参照。
暁 - Wikipedia
また、暁(あかつき)という言は、現代語では「夜明け」「明け方」(太陽は出ていないが、空が明るくなり出している状態)を指すが、古語では「未明」(空が明るくなる前の状態)を表すので注意が必要である。古くはあかつき、しののめ、あけぼのという順に推移するものと区分された
明け方 - Wikipedia
晴れの国・岡山から、世の中が明るくなるような演舞を届けよう。そんな気持ちを込めて命名しました。
生きていれば嫌なこともあります。苦しいことや辛いこともあります。そんなときに、僕ら曉の演舞が、元気が出たり勇気が湧いたりするきっかけになれないだろうか。
そんな想いや願いが込められています。今思うと、「良い演舞をつくりたい」とか「賞を獲りたい」って考えるのも、ここに繋がるのかもしれませんね。
雅斗31歳・曉6年目もよろしくお願いします。
曉は「10年はやる」つもりで創設しました。2017年で最初の5年間が終了。
初出場賞以外いただいたことのなかった僕ら曉が、地元・岡山の『うらじゃ』2017で最優秀賞の『誉(ほまれ)』をいただくことができました。
「賞を獲ってみたい」という僕自身の気合いもありましたが、1年目=2013年の『うらじゃ』後から唯一ずっといるまっつーを勝たせてやりたかった。最後の原動力はもうずっとそれ。
誉の最後の1チームとして「あかつき」と発表した瞬間、泣き叫び、気絶して死ぬんじゃないかってぐらい発狂して喜ぶ姿に、心の底から報われた気持ちでいっぱいでした。
大事な5年目という節目の『うらじゃ』を、最高に感動的な形で終えた2017年。そして、2018年からは「次の5年間」が始まりました。
ふと思い出しましたが、楓の「100年続く踊り連を目指して」って良いですね。『どまつり大賞』という野望もありますが、それとは別に僕もこれぐらい大きく考えていこうと思います。
TwitterのDMやFacebookのメッセンジャーで直接お祝いの言葉をくれた方々もありがとうございました。嬉しかったです。
今年の新大学1年生は、同じ「卯年」の子達が入ってきます。干支が1周して12歳も年が離れていても、「おじさん」だの「おっさん」だのイジられながらも、まだまだがんばります。
長文のおまけ(曉の作品の歴史)。
- 2013年
- タイトル…秋冬春夏(しゅうとうしゅんか)
- テーマ…なし
- 題材…なし
- 概要…『うらじゃ』って夏に終わるので、秋→冬→春→夏の順に表現した作品。
- 2014年
- タイトル…郷庭(さとにわ)
- テーマ…なし
- 題材…なし
- 詳細…振付が難しすぎて楽しみ切れていない人が多かったなと反省。「祭りを楽しんでほしい」って気持ちでつくった作品。「郷」は故郷。後楽園,岡山城,美観地区など岡山県内の素敵スポットのことを歌詞をつけました。「庭」は「学びの庭」って言葉があるし、後楽園って踊ったりもしてるし、『うらじゃ』や練習場所の運動公園って「踊りの庭」だなと思い、郷+庭=郷庭と造語を命名。BPM180の高速な楽曲も特徴でした。
- 2015年
- タイトル…煌々(こうこう)
- テーマ…感謝
- 題材…なし
- 詳細…1,2代目を支えてくれた副代表や煽り手の人たちはみんな僕より年上。結婚や出産のラッシュとなり、みなさん引退・卒業。その感謝の気持ちを表現した作品。以降、テーマを設定して制作する始まりの年でもあります。「感謝は輝いて返す」という言葉が思いつき、それでタイトルが『煌々(こうこう)』となりました。2017年に『うらじゃ』で「誉(ほまれ)」を受賞したときにも、喜びとお祝いのメッセージをもらっています。さらに、04/22(日)には彼らの会社から演舞依頼をいただいています。正に、感謝は輝いて返す。1,2代目からしたら僕ら曉が「誉(ほまれ)」を獲るなんて本当に夢のまた夢。成長した姿と演舞で楽しんでもらえたら嬉しいです。
- 2016年
- タイトル…不退転(ふたいてん)
- テーマ…挑戦
- 題材…後楽園(青年が後楽園に新しく祭りを創る物語)
- 詳細…名古屋の『にっぽんど真ん中祭り(どまつり)』に出ると決めた年。岡山から名古屋に泊まりで攻め込むのはでっかい「挑戦」だったので、それをテーマにしました。『どまつり』は地域の魅力紹介大会ってことで、この年から題材を設定。「後楽園が近所で好き」ってのと「いつか後楽園で演舞したい」って想いを込めて物語を創作。20人で『どまつり』初出場が叶いました。が、名古屋は猛者揃い。「挑戦するだけなら簡単だけど勝負にはならなかった」と、悔しさも味わいました。それが翌年のテーマになります。タイトルの『不退転』は「退かず転じず」の意。最初の3年分もそうですが、タイトルやテーマは1年ものではなく、一生背負うもの。これを感じ始めた年にもなりました。
- 2017年
- タイトル…先憂後楽(せんゆうこうらく)
- テーマ…勝負
- 題材…後楽園の幻想庭園(庭師が幻想庭園を毎年良くするために日々努力する物語)
- 詳細…節目の5年目。2016年の悔しさを胸に、「もっと具体的に」とつけたテーマ。賞がすべてではないが、賞を目指す過程で得るものがたくさんある。去年より今年、昨日より今日…と、演舞を日々磨いて少しでも良いものをお客さんに届ける。その結果、賞を獲れたら最高に嬉しいじゃないか。そんな気持ちでつくった作品。後楽園で演舞することも諦めず、実現するまでは後楽園ネタで制作しようと決意。同じ後楽園でも、連員がちょっとでも身近に、そして愛着を持ってもらえるよう、1番有名な幻想庭園を採用。衣装も黒から黄色にギャップを最大化。「昨日の自分を超えてゆけ」という煽り手2人が歌詞にしてくれた通り、「本当に大事なのは他人との勝負ではなく自分との勝負」というメッセージが、今でも連員の中に残っていたら嬉しいです。5年間のタイトルやテーマやメッセージはすべて、6年目の2018年も背負ったまま活動します。
- 2018年
- タイトル…睦(むつみ)
- テーマ…共創
- 題材…後楽園の丹頂鶴と結婚式(丹頂鶴を育てる研究員の1人が自分の結婚式の余興で丹頂鶴の園内散策をしようと奮闘する物語)
- 詳細…「次の5年間」の1年目。2017年の『うらじゃ』で「誉(ほまれ)」を獲れた喜びと、一方で『どまつり』では40人未満の部で予選敗退してしまった悔しさもありました。『どまつりU-40大賞』にリベンジするかは人数次第ですが、『うらじゃ』の「誉(ほまれ)』は連覇を狙います。『どまつり』は最終目標が大賞という、果てしなく遠い感じがするため、「その礎をつくっていくために今がある」ということを連員と共有する必要がある。段階的に上を目指していくこと。日々の地道な努力の先に見える景色や、その過程で得るものがいっぱいあること。『不退転』や『先憂後楽』を忘れず、諦めないこと。「共創」の「創」は、ないものをある状態にすること。現状維持や前例踏襲や挑戦・勝負なき活動は大企業病と衰退の始まりであること。研究員(飼育員)が言葉のわからない丹頂鶴と向き合う姿や、結婚という新たな門出を誓って2人の新生活を始めること。これらは「共に創る」そのもの。演舞も練習もチーム運営も祭りの運営もまちづくりも、すべて「共創」の要素があります。賞という「競争」の要素すらも「共創」です。真に仲睦まじい状態とは何なのか。これを1年かけて僕も連員も探求していく。そのための作品です。丹頂鶴の丹頂は「頭が赤い」という意味ですが、転じて「端兆:おめでたい出来事の兆し」と、当時の藩主・池田綱政が喜んだとか。2018年もみんなの努力が報われて「おめでたい出来事」を掴みたいですね。
「千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりいる宿の行末」(池田綱政)
ある日、延養亭の前庭に降り立ったタンチョウをみて、藩主綱政が瑞兆(おめでたい出来事の兆し)と喜び和歌を詠んだという記録が残っています。
その他にも、庭に鶴が飛来したときや、園内で飼われていた鶴に卵が生まれたときには、江戸にいる藩主に知らせていたという記録もあります。
また、文久3年(1863年)の絵図には、「ツルベヤ」12部屋が記載され、芝生に5羽、砂利島に2羽の鶴の姿が描かれています。
後楽園のタンチョウ:岡山後楽園 - 日本三名園の一つ、岡山後楽園は、世界に誇る文化財です。
0コメント